魏騰 周林(ぎとう しゅうりん)


姓:魏
名:騰(あるいは滕)
字:周林
生没年(?-?)
出身地:会稽郡上虞県
親:
子:

一本気な性格でたとえ自分が窮地に陥っても自分の信念を曲げるようなことは無かった。 孫策の功曹であったが孫策の機嫌を損ねて処刑されそうになった。 周囲の者は魏騰を助けようとしたが孫策の機嫌を直す手立ては無かった。 そのとき孫策の母の呉夫人は井戸の縁に身を寄せて「魏騰を殺せば東呉の人心を失う。 どうしても殺すと言うなら私も井戸に身を投げる。」と言って弁護したため魏騰は釈放された。

後に今度は孫権の機嫌を損ねてやはり処刑されることになり、 彼をかばう者も死刑とする命令が下された。同郷の呉範 は地面に頭を打ち付けて孫権を諌めたので、ようやく魏騰は赦された。魏騰は呉範に 「父母は私を育ててくれたが死からは逃れさせてはくれなかった。 友と言うものはあなたのような人が一人いれば十分で、沢山いても無駄なことだ。」と言った。

歴陽、[番β]陽、山陰の各県の県令を務め、その後[番β]陽太守を務めた。 (呉書・呉範伝)


「演義」には登場しない。
窮地に陥りながらも二度も他人が死を賭して助けてくれた人物です。頑固ながら人望に厚かったのでしょうか? 具体的な事跡は残念ながら伝わっていません。
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