宋建(そうけん)
姓:宋
名:建
字:
生没年(?-?)
出身地:涼州隴西郡
親:
子:
180年代に(隴西郡の)枹罕にて挙兵し、河首平漢王を自称して改元を行い、百官を設置した。その後三十年以上その地に割拠した。
214年、夏侯淵の討伐を受け、一ヶ月の包囲ののち枹罕を落とされた。
彼の任命した丞相以下の百官と共に宋建は殺害された。
曹操が魏王になる際の詔勅によれば宋建は韓遂と共に蜀と気脈を通じたという。
また蜀の周羣は212年の彗星の出現から西方の領主たち
(劉璋・張魯・韓遂・宋建)らの没落を予言し、的中させた。
(魏書・武帝紀、夏侯淵伝)
『演義』には登場しない。
おそらくは争乱の続く涼州で三十年間、決して悠々と暮らしていたわけではなく、韓遂、馬騰、
楊秋など幾多のこの地の軍閥らと時には戦い、時には和していたのでしょうが、記述は全くありません。
周羣の予言から比較的大きな軍閥だったのではと推測できます。
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