劉祥(りゅうしょう)
姓:劉
名:祥
字:
生没年(?-191?)
出身地:荊州零陵郡烝陽県
親:劉曜
子:劉巴
江夏太守・盪寇将軍として孫堅に味方していた。
孫堅が南陽太守の張咨を殺害すると南陽郡の士民は劉祥を恨んて攻撃した。
劉祥はこの戦いで殺された。劉表も劉祥を嫌っており息子の劉巴の殺害を図ったこともあった。
(蜀書・劉巴伝)
『演義』には登場しない。
孫堅の味方ということは袁術派であり、
袁紹派の劉表とは対立していたはずです。
張咨亡きあと、南陽は袁術が治めていたはずですがその時期に南陽の士民が袁術の味方である劉祥を攻撃するということは、
袁術に愛想を尽かしていたか、劉表にそそのかされたのか、といったところでしょうか。
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