応劭 仲遠(おうしょう ちゅうえん)


姓:応
名:劭
字:仲遠
生没年(?-?)
出身地:
親:応奉
子:

後漢末の文人で様々な著作を残し、その文は典雅ではなかったが博識さは世に知れ渡っていた。 朝廷の制度儀式が廃れなかったのも彼の著作のおかげであったという。 汝南郡の主簿を務めていた際に、昔の代の諱を使うことも避けるべきだという議論を発表したが、 張昭は自ら文章を著してそれに反論した。

泰山太守にまで昇進した。在任中、自分が孝廉に推挙した者を殺してしまったこともあった。 曹操の父の曹嵩 を曹操の元へ送り届けるように命ぜられた。 しかし陶謙は配下の兵に命じて曹嵩を逮捕させようとした。結局曹嵩は殺されてしまったため、 報復を恐れた応劭は官を棄てて袁紹の元へ逃げた。 別の説では陶謙は部下の張[門豈]に騎兵二百をつけて護送させたが、 張[門豈]は曹嵩を殺して財宝を奪い淮南に逃げたという。 (魏書・応劭伝、武帝記、孔融伝、張昭伝)

「演義」では曹操に命ぜられて曹嵩を迎えに行くが、同行していた元黄巾賊であり、 陶謙配下の張[門豈]が曹嵩を殺害すると、袁紹を頼って逃げた。


後漢の大文学者ですが、行状には問題があったような記述が多いです。
リストへ戻る