呼廚泉(こちゅうせん)


姓:?
名:呼廚泉?
字:
生没年(?-?)
出身地:南匈奴
親:
子:

匈奴の南単于。216年7月、各部族の王を引き連れて都を訪れ、賓客としてもてなされた。 そのまま朝廷に引き止められて、故郷は右賢王の去卑が治めた。 220年、曹丕が魏の皇帝となると呼廚泉に改めて璽綬を授け、 青蓋車、乗輿、宝剣、玉訣など王のみが使用を許される数々の品物を賜った。 (魏書・武帝記、東夷伝)
『演義』には登場しない。
中国シンパの匈奴の最高権力者です。もっともこの時代の匈奴は漢王朝や 鮮卑・烏丸などの民族に押されて勢力が弱体化しており、 中国国内に移り住むか、国境近くで暮らしていました。 中には於夫羅のように中国の諸勢力と組んで傭兵のような仕事をしたり、 蔡文姫をさらって妻とし、中国の文化を取り入れた 劉豹など、 積極的に中国へ関与する人物が匈奴から出てきます。
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