[女為]覧(きらん)


姓:[女為]
名:覧
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:

呉郡太守の盛憲戴員と共に孝廉に推挙された。 盛憲が孫権に殺されると逃亡して山中に潜んだ。 203年、丹陽太守となった孫翊に招かれて大都督となった。 孫翊は側近の辺洪と付き合っていることに対して[女為]覧らを強く咎めたので謀反を決意した。 丹陽郡の県長たちが集まった場で辺洪は孫翊を刺殺した。 辺洪は孫翊の妻である徐氏によって探し出されて殺されたので、 [女為]覧らは辺洪に罪を全てかぶせた。役人たちは[女為]覧らの罪を知っていたが、 思いきって弾劾することはできなかった。

[女為]覧は孫翊の侍女たちを手に入れたがそれでは満足せず、未亡人となった徐氏に言い寄った。 徐氏は「喪が開けるまでお待ち下さい」と答え、水面下で夫の敵討ちを画策した。 徐氏の演技に騙された[女為]覧は喪が開けた徐氏に呼び出され、 孫翊の部下であった孫高、傅嬰に殺され一族は根絶やしにされた。 (呉書・孫韶伝)


「演義」でもほぼ同じ。
孫翊の妻徐氏の敵討ち物語の仇ですが、[女為]覧にしてみれば盛憲の敵討ちをしたかったのでしょう。 孫権が無理なので矛先が孫翊になったのだとしたら、孫翊はかなり気の毒ですね。
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