曁艶 子休(きえん しきゅう)


姓:曁
名:艶
字:子休
生没年(?-?)
出身地:揚州呉郡
親:
子:

以前に罪を犯して親子ともども平民に落とされていたが、 朱治の推挙などで官に戻った。

張温の腹心であり、尚書まで昇進した。自尊心が強く過激な人物批評を行った。 当時役職にあった者たちが人品芳しくない者が多く、 曁艶はそれらのほとんどを降格させるような容赦の無い選別を行った。 陸遜陸瑁朱拠などは彼を諌めたが聞かなかった。 このような処置を恨んだ官僚たちは曁艶らは 「自分の気持ちに任せて専断を行い、裁きは公平でない」などと罪を並べ立てて弾劾した。 曁艶は罪を問われて自殺した。 (呉書・張温伝)


「演義」には登場しない。
かなり過激な性格の持ち主だったようです。 当時権力を握っていた張温の腹心だったことから人事権を得ていたのでしょう。 これが原因で張温も失脚してしまいます。
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