賈龍(かりゅう)


姓:賈
名:龍
字:
生没年(?-?)
出身地:益州蜀郡
親:
子:

益州の従事。霊帝の末期、益州では馬相が黄巾軍、 後に天子を名乗り蜀郡、広漢郡、[牛建]為郡を荒らしまわり、その軍勢は一万を超していた。 賈龍は[牛建]為郡の東境にあって官民千人を集め、馬相軍を敗走させて諸郡ほ平和を取り戻した。 劉焉を迎え入れたが劉焉は州内の豪族を次々と殺し野心をあらわにした。 ちょうどこの時中央から劉焉討伐の軍が派遣されてきたため、 防戦に向かった賈龍はその軍と合流して劉焉を攻撃した。 しかし劉焉は羌族を味方にして戦ったため、賈龍は敗れて殺された。 (蜀書・劉焉伝)
「演義」には登場しない。
劉焉の益州における最大のライバルです。賈龍の敗北により劉焉は益州の一応の平定を成し遂げますが、 息子の劉璋の時代にも益州は反乱が多発する不安定な地域であり続けます。 益州の本当の意味での安定は諸葛亮の治世まで訪れません。
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