郭常(かくじょう)


姓:郭
名:常
字:
生没年(?-?)
出身地:
親:
子:

「正史」にはその名を見ることはできない。
「演義」では関羽が曹操の元を抜け出し、 劉備の二人の妻を連れて五関を破る話の中で登場する。 五関で六人の将を斬った関羽は大雨に降られて孫乾 と共に地主の郭常の家を一夜の宿とした。 その夜、郭常の一人息子は仲間の不良たちと共に関羽の乗騎する赤兎馬を盗もうとしたが、 赤兎馬が騒いだため関羽の従者に取り押さえられた。関羽は怒って郭常の息子に殴りかかろうとしたが、 郭常とその老妻が懇願したため、取りやめた。

翌日関羽一行が郭常の家を発ち、しばらく行くと黄巾をかぶった二人の頭目が行く手を阻んだ。 その一人は郭常の息子であり、「俺は天公将軍張角の部隊長だ。 命が惜しければその馬を置いて行け。」 と関羽に向かって叫んだ。関羽は「黄巾軍なら劉備、関羽、張飛 の名は聞いていよう。」と言った。 するともう一人の頭目であった裴元紹 は郭常の息子を馬から引き摺り下ろして土下座させ、関羽に謝った。郭常の息子はこそこそと逃げていった。


この後、裴元紹が周倉を関羽に紹介し、 関帝廟にも見ることができる、関羽主従が成立するのです。 周倉を出すために裴元紹を出して、裴元紹を出すために郭常親子を出して、、、 随分と勿体ぶった登場ですね。神様である関羽にまつわる話だからでしょうか?
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