辺章(へんしょう)


姓:辺
名:章(またの名を允)
字:
生没年(?-?)
出身地:涼州金城郡
親:
子:

涼州の地で名を挙げ、督軍従事となった。 宋揚、北宮玉らの反乱に担がれて韓遂と共に盟主となり反乱を起こした。 これを鎮圧するために董卓が中央から派遣されてきたが董卓は戦果を上げることが出来なかった。 漢王朝では張温を総大将、孫堅と陶謙を参軍として討伐軍を派遣した。 辺章らは大軍が派遣されてくることを知って降伏した。

189年、馬騰、韓遂らと共に刺史、郡太守を殺害して涼州で再び反乱を起こした。 軍勢は十万にも達し、天下は動揺した。後に辺章は病死した。 (魏書・武帝記ほか)



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