虞[シ巳] 世洪 (ぐし せいこう)


姓:虞
名:[シ巳]
字:世洪
生没年(217?-?)
出身地:交州南海郡
親:虞翻
子:

虞翻の四男。虞翻が交州に流されているときに生まれた。16歳のときに父が死去すると故郷に戻った。 後に孫[糸林]孫休 を迎えて帝位に即けさせようとしていたときのこと、孫[糸林]はそのことについて百官に諮った。 みな彼のことを恐れて孫[糸林]の言うことに頷くばかりであったが、 虞[シ巳]が質問されると「あなたはわが呉の周公のようなご威光をもって主君の退位と即位を 取り決めになるときに、まだ孫休さまが来ないうちに自ら宮中に入ろうとすれば、 あらぬ疑いをかける者もいるでしょう。末永く忠孝を全うされ名声を勝ち取る遣り方ではありません。」 と答えた。孫[糸林]は内心腹立たしかった。孫休が即位すると王蕃薛瑩らとともに散騎中常侍に任命した。

269年、監軍として薛[王羽]、陶[王黄] と共に荊州から晋の領土となっていた交趾郡を攻略した。 晋軍を撃退し交趾郡を呉に取り返し、さらに扶厳を討伐してこれを平定し、 武平郡を置いた。この手柄で交州刺史となり、冠軍将軍・余姚侯に封ぜられた。後に病気で死亡した。 (呉書・虞翻伝、孫晧伝)


『演義』には登場しない。
虞翻の息子たちの中で最も功績の高かった人物です。
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