兀突骨(ごつとつこつ)


姓:兀
名:突骨
字:
生没年(?-?)
出身地:烏戈国
親:
子:

「正史」にはその名を見ることが出来ない。
「演義」では孟獲諸葛亮に六回目の敗戦を喫し、 次は誰を頼るべきかを孟獲に提案した帯来洞主によってその存在が紹介される。 南蛮の烏戈国の王。身長は一丈二尺(2.7メートル!)の怪人。 烏戈国では人々は穀物を食べずに蛇や獣を主食とし、体には鱗が生えていて刀や矢を通さない。 みな藤で出来た鎧を着ており、藤甲軍と呼ばれていた。その鎧は野生の藤に半年つけ、半年乾かし、 を何年も繰り返した糸を編み込んで作ったもので、水に浮くことができ、矢刀も通さなかった。 またその地の桃花水の水は他の土地の者にとっては猛毒だが烏戈国の者にとっては勇気百倍なのであった。

兀突骨は孟獲の協力依頼を受けると、三万の兵と土安奚泥の二将を引き連れて蜀軍に襲い掛かった。 魏延が相手をしたが刀も矢も通さないとあって、敵わずに退却した。 孟獲は兀突骨に伏兵は諸葛亮の常套手段だから気をつけるように言う。しかし蜀軍が15回敗走し、 7つの塞を捨てたので兀突骨は安心し、象に乗って進撃し、魏延を盤蛇谷に追い込む。 そこで待ち受けていた蜀軍は谷の入口を封鎖し、 あらかじめ仕掛けてあった火薬に火のついた干し草を投げ込んで引火させた。 砲弾が飛び散り、藤のよろいに引火して燃え広がり、兀突骨は烏戈国の兵とともにあえない最期を遂げる。 諸葛亮は自分の計略がもたらしたこの惨状を見て 「国のためとはいえ、この殺生の報いが自分の寿命は縮ませるであろう。」と言った。


南蛮の最も奥に巣くう半人半獣の王。正に空想がもたらす産物です。 孔明の南蛮征伐の物語は「演義」のほかの部分と比べて空想的な性格が濃いと言えます。 火薬はこの時代にはまだ発明されていないものであり、時代考証を考えてもおかしい点があります。 孔明の能力を誇張するためにその敵も強そうに描かれていった、 その終着点が怪獣のような兀突骨と烏戈国の藤甲軍なのでしょう。 この手法は現代日本のマンガやゲームと全く同じですね。

ところで孔明が孟獲を七回捕らえて七回釈放した故事は、 中国の雲南省では孟獲が孔明を七回捕らえたことになっているそうです。 地元の古い英雄を賛美する気持ちがこの逆転に結びついたのでしょう。 それでは兀突骨はかの地方ではどのように崇められているのでしょうか?興味があるところです。


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