厳輿(げんよ)
姓:厳
名:輿
字:
生没年(?-194?)
出身地:揚州呉郡
親:
子:
厳白虎の弟。厳白虎の軍の中では武力が高く勇猛であった。
孫策が厳白虎を攻めると厳白虎は孫策と軍を対峙させた上、
厳輿に和睦の使者を命じた。
厳輿は一対一で和睦の会見を行うよう孫策に申し入れると、孫策はこれを認めた。
会見の席上で孫策は刀を抜き厳輿の座席に斬り付けた。厳輿が驚いたので孫策は笑って
「あなたは即座に立ち上がって素早い動きをすることができると聞いたので、
少しふざけてみただけです。」と言った。厳輿は「刃物を見るとそのようなことが出来るのです。」
と答えた。孫策は厳輿がそのようなことは出来ぬと看破し、
その場で手戟(片手で使う小さな戟)を投げつけ、厳輿を殺した。
厳白虎の軍は、武力の要を失って動揺し、孫策軍に敗れ去った。
(呉書・孫策伝)
『演義』では最初に軍を率いて孫策軍と楓橋で戦うが、韓当・
蒋欽・陳武らの攻撃に遭って敗走し、
厳白虎軍は篭城した。しかし太史慈が城門の将軍を弓で射て、
城壁に釘付けにしてしまったのを厳白虎は恐れ、
翌日厳輿は降伏の使者として孫策の陣に赴いた。しかし歓迎の宴席で厳輿は
厳白虎は孫策と江東を二分したいと持ちかけると怒った孫策に短剣を投げられ、殺害された。
厳白虎軍の実力者だったようですが、孫策の前には大いに役不足と言ったところです。
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