閻温 伯倹(えんおん はくけん)


姓:閻
名:温
字:伯倹
生没年(?-211)
出身地:雍州天水郡西城県
親:
子:

涼州の別駕。馬超が冀県を包囲すると夏侯淵 に救援を求めるよう命ぜられて密かに城を脱出したが馬超に捕らえられた。馬超は 「援軍は来ないと城に向かって言えば命は助けよう」と言われた。閻温はそれを快諾して城の前に連れられた。 しかし彼は「援軍はあと3日でくるぞ」と叫んだ。 馬超は城攻めに苦戦していたので閻温を使って彼の変心に期待していので「城に内応に応じる者はいないか」 と閻温に尋ねると「主君に仕える場合は死んでも裏切らないものだ。 なぜあなたは私に不義の言葉を吐かせようと言うのか?」と答えたのでとうとう彼を殺した。(魏書・閻温伝)

「演義」には登場しない。


日本の戦国時代でも武田勝頼が長篠の合戦の直前、 長篠城を攻める際に同じような出来事があったのですが、その武士の名前を忘れてしまいました。 誰か知っていたら教えてください。 乱世では忠義の士は名前を残すもので、閻温はこれだけの登場ですが「正史」に彼の名前の伝が立てられています。

武士の名前は鳥居強右衛門でした。掲示板でご指摘いただいた かなめ様、ありがとうございます。


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