閻柔(えんじゅう)


姓:閻
名:柔
字:?
生没年(?-?)
出身地:広陽
親:
子:

若いときに捕らえられ烏丸や鮮卑の地に連れられてきたが異民族たちの尊敬を集めるようになり 烏丸校尉の地位を武力で得た。公孫[王賛]と戦い、これを優位に進めた。 袁紹は彼を厚遇して北方の安定を計った。 曹操が河北を制すると帰順して引き続き烏丸校尉を務め関内侯に取りたてられた。 広く烏丸、鮮卑と中央を結ぶ役割を果たし、軻比能なども彼に頼っていた。 また、曹操に目をかけられ、実の息子のように接したので曹丕 とも兄弟のような交わりであったと言う。曹丕の時代には度遼将軍に任命された。

「演義」には登場しない。


人望もあり、実力もあった漢民族出身の烏丸王、 曹丕との友情はいわば英雄、英雄を知るといったところなのでしょう。
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