三国志重箱の隅其の七 〜 渡来した三国志の末裔たち


坂上田村麻呂といえば征夷大将軍として桓武天皇の時代に蝦夷討伐に功績があった人物として有名ですが、 坂上氏の祖は応神天皇の時代に渡来したとされる阿智王であり、後漢の霊帝のひ孫にあたるとされています。 この阿智王と共に多くの人々が渡来し、様々な氏族の祖となっています。

外部リンク<日本の苗字7000傑「坂上氏」

弥生時代から古墳時代にかけて日本には大陸や朝鮮半島から魏晋南北朝の戦乱を避けて多くの人々が 渡来しました。平安時代に編纂された京都周辺の氏族の祖先を列挙した名鑑である「新撰姓氏録」の 「諸蕃」の項には三国志に登場する人物を祖先とする氏族も少なからず挙げられています。

外部リンク<『新撰姓氏録』氏族一覧3

公孫淵の後裔を称した常世(とこよ)氏は赤染氏とも名乗り、河内国に住み染物に従事しました。 常世国は燕国の別名でもあり公孫氏との関連を感じさせます。また常世国は古代日本では海の向こうの理想郷とされ、 不老不死の神仙が住むとされていました。 ちなみに古代において赤色に染めるには朱を用いましたがこれは水銀と硫黄で作ります。 水銀は不老不死の薬にも用いられたので常世氏にとっては身近なものだったのでしょう。

外部リンク<日本の苗字7000傑「赤染氏/常世氏」

曹丕の末裔を称した一族には大崗氏、高向氏などが、曹植の末裔を称した一族には広階氏、上氏、筑紫氏などがいます。 また山田氏、長野氏などは王昶の末裔を名乗っています。

呉に目を向けると牟佐氏、蜂田氏が孫権の、茨田氏が孫皓の末裔を称しています。 変わったところでは高村氏が劉琮(劉表の子、青州刺史)の末裔とされています。

他にも始皇帝、高祖劉邦、後漢光武帝、後漢章帝、後漢献帝、隋の煬帝など何でもありの様相。これらの氏族が 本当に子孫であるかどうかは疑問もありますが、中国の名族の末裔を名乗ることが古代日本においてひとつの ステータスであったことは想像に難くありません。


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